2019年3月28日木曜日

はじめに

その昔…20年近く前になると思います。日本型環境教育の提案という本が発刊されました。

その巻末だったと思いますが、「奥深村自然学校物語・序章」というショートストーリーが乗っていました。

私はこのお話の続きが書きたいと思いました。

当時、この本に大きくかかわっていらした、川嶋直さん(当時Keep協会環境教育事業部長)に、この続きを、私に書かせてくださいとお話しした記憶があります。

たぶんお願いしたと思います…

きっとお願いしました。

なんて不確かになってきているのですが、ずっと、私はそんな思いを持ち続けてきました。



そして、今やっとそのお話をかこうと決心したのです。

もちろん著作権等の問題がありますので、そのままというわけにはいきませんし、お話を書く上で私なりのストーリーもありますので、少し変わっているところもあります。

しかし、下地は「奥深村自然学校物語・序章」です。



小さな組織の「番頭」論のあとがきにも書かせていただきました。

その際、川嶋氏にもご了承をいただきました。



と、いうわけで、奥山村物語(仮題)を書きはじめたいと思います。

みなさま、楽しんでください。

2019年3月27日水曜日

第1章 奥山村物語のはじめ

1章1節

奥山村の空は青くて大きい

夏休み、奥山村の波多野さんのお家の縁側の掃き出しの窓は大きく開かれています。
「寛太~ドラクエしようぜ~!」と、

自転車のブレーキの音とともに武雄君がやってきました。

太陽はすでにジリジリと肌を焼く角度と強さを村の隅々にまで降り注いでいます。
その強さで、水分を奪われた道からは、自転車のタイヤですら、土煙をもうもうと舞い上がらせます。
そして、武雄君は、ほんの数分ペダルをこいだだけなのに、その額といわず、腕といわず背や胸にまで汗をしたたらせています。
今年は例年になく、ことのほか暑い夏です。
ここ奥山村だけでなく、日本中が異常気象のようです。
「寛太く~ん」と、縁先で武雄君が叫びます。
うちの中から返事がありません。
「武雄君上がっていいわよ。」
「は~い」
武雄君は縁側から、ゴム草履を脱ぎ飛ばして這い上がっていきました。
寛太君は、客間のテレビに向かって、夢中でゲームをしています。
ここは、寛太君のおばさんの家。で、田舎(ふるさと)。おばさんは寛太君のお母さんの妹で、波多野節子さん。
90歳のあやのおばあちゃんもいます。
寛太君は夏休みで、3泊4日の予定で遊びに来ました。
でも…節子おばさんの子供は二人とも女の子で、まして寛太君より年下なのです。
ですから、あまり一緒に遊ぶこともなく、近所の高橋さん家の武雄君と遊ぶことが多くなります。
武雄君は寛太君と同じ4年生。地元の小学校のガキ大将といったところです。
そして、二人が夢中になったのは…テレビゲームだったのです。
「あんまりずっとしてちゃだめよ~」と、節子おばさんは言うけれど…きっと今日も昼ごはんまでは、釘づけだろうな…
案の定、お昼ご飯まで二人は黙々とゲームをしていました。
「武雄君もうちでお昼たべなさい。午後も寛太君と遊ぶんでしょう?。行ったり来たりも大変だから、うちでたべちゃいなさい。」
「は~い。ありがとうございます」
節子さんのところの娘のまゆかと裕子もあらわれて5人でお昼ごはんになりました。
午後から、まゆかと裕子とおばさんはお買い物に行くけど、二人はどうする?お留守番してる?
寛太君と武雄君は二人で顔を見合わせて、そろって、大きくうなずきました。
「でも、テレビゲームばかりしてちゃだめよ。」
「は~い」と、返事もっ2人そろっています。まあ、その返事は、から返事以外の何物でもありませんでしたが。
しかし、2時間もすると日差しは一段と強くなり、部屋の中にいること自体が辛いぐらい暑くなってきました。
このうちにはエアコンはついていません。
「寛太君、暑いね、ちょっと川に遊びに行かないか?」
「川?プールとかじゃなくて?」
「プールなんて学校にしかないし、学校のプールは入れる日が決まっているんだよ。だから暑い日はみんな川で遊ぶのさ。」
「オッケー、行こう!…あ、でも僕、海パンとか持ってない。」
「そんなもんいらないよ、いつもこのままさ。」
「だって、服びしょびしょになったら帰ってこれないじゃないか。
「乾くまで河原で遊んでいればいいのさ。」
「なるほど~。それもいいね。じゃあ行こうか。」
「そうこなくっちゃ。」
武雄君は、縁側に飛び出しました。あっという間に自転車にまたがります。
寛太君は玄関から靴を履いて出ていきますが…立ち尽くしてしまいました。
武雄君は自転車…僕はどうしたら?
武雄君は後ろを向いて、
「早くのれ~」
「え、え、え、二人乗りは先生に叱られちゃうよ。」
「何言ってんだよ。大丈夫さ。いつものことだ」
二人乗りで、風を切って、坂道を下ります。
寛太君は、目を閉じたり開いたり、風を感じています。
「涙が~出る~」
(きゃっは~気持ちいい~)
気が付けば、あっという間に川が見え、橋を渡って河原への道へ…
「ギャギャギャ。お尻が痛い~」
「尻、浮かせるんだよ!」
「えっ、えっ、どうやって?お尻が壊れる~」
キ~ッとブレーキをかけて、武雄君が止まりました。
「しょうがねえな…大丈夫か?」
「う~ん」
「じゃあ、ここからは二人で歩いていくか。すぐだから。でもな、後ろに乗るときはここの軸に飛び出してるステップに立って乗るんだぜ」
「なるほど…そっか。」
「尻、大丈夫か?」
「うん、大丈夫だ。」
「よし、じゃあ、川行こうぜ!」
河原の土手に自転車を放りさすと、階段を勢いよく駆け下りていきます。
武雄君は階段を降りると、ゴム草履を脱ぎすて、石の上をぴょんぴょんと川の流れに向かっていきます。寛太君は武雄君がゴム草履を脱いだところで、靴と靴下を脱ぐと、急いで追いかけようとしました。
しかし強い日差しに照らされた石は熱くなっています。
「あちち、あちち」と、寛太君は大騒ぎです。
武雄君は振り返って笑っています。
「大丈夫かい?」
「ああ、でも、石って熱いね~」
この石が熱いから、川で寒くなったら、この石に抱き着くと、あったまるんだよ。
「へ~そうなんだ」
「さ、川で流れて遊ぼうぜ」
武雄君は、川にじゃぶじゃぶと入っていきます。そしてゆったり流れる川にザブンと入ると上向きになって川の中を流れて行きます。
「気持ちいいぜ~」
寛太君も、後に続きます。
(うっへ~、気持ちいい!)
寛太君は大きな空を見上げて川を流れていきます。冷たくて気持ちのいい流れに身を任せて、見えるのは真っ青な空。すごい気持ちいい!
寛太君は初めての体験で、もう夢中です。
何度も何度も流れます。
「お~い寛太君。ちょっと休もうぜ」。
武雄君が川岸の石の上から呼びかけます。
はたと気が付くと、ちょっと寒い。
寛太君は、急いで武雄君のところに上がっていきます。そして、武雄君がするように、大きな石に抱き着くようにしました。
「うっへ~あったかくって気持ちいい!」
「だろう、最高だぜ。
「石がこんなに熱くなるなんて、太陽の力ってすごいな~」
「なるほどな、太陽の力か…確かにな。曇ると、全然あったかくならないからな。体があったまったら、上に座るんだよ。ズボン乾くから。」
「そっか、そうだったね。」
寛太君は自分がズボンのまま川に入っていたのを、今思い出しました。
武雄君がするように、シャツを脱いで、別の石の上に広げて貼り付けました。
そして、石の上にお尻を乗せました。
シャツはあっという間に乾いていきます。
しばらく甲羅干しをしたところで、武雄君が「さあ、帰るか。」
「え、もう?」寛太君はもう少し遊びたい気持ちです。
「ダメダメ、すぐ寒くなるぜ。」
「え、まだこんな暑いのに?」
「ああ、帰りはちょっと時間かかるしな」
「そうなの?」
寛太君は少し不満でしたが、武雄君にしたがって、階段の下で、靴を履きました。
武雄君は自転車を押して、歩きだしました。
「あれ、帰りは自転車乗らないの?」
「馬鹿だな~、帰りは上り坂だぞ。二人乗りで登れるわけないだろう。ひとりだって無理なのに。」
「ああ、そっか」
ふたりは自転車を押す武雄君の後ろから、寛太君が荷台を押して坂を上っていきます。
とちゅまで来たときには、日が陰りはじめました。
「うっ、寒い~」寛太君はちょっとブルっとしました。ズボンとシャツはまだ半乾きでした。
「だろ、ちょっと川をあがるのが遅かったぐらいだ。」
「本当だね。」
「さ、もうひと頑張りだ。」
でも二人は楽しかった。笑いながら、自転車を押して、家に向かいました。
「家に帰ったらまたテレビゲームしようぜ!」
「うん」
しかし、帰り着いた時は、すでに夕暮れが迫って、節子おばさんは晩御飯の準備をしていました。
「武雄君、もう帰りなさい。」
節子おばさんにぴしゃりといわれて、テレビゲームはおあずけとなり、武雄君もうちに帰っていきました。
そんなふうに、寛太君にとってはテレビゲームと、今までにしたことがないような川遊びで、あっという間に4日間が過ぎました。

寛太君が東京に帰ったその日の夜、節子おばさんと、寛太君のお母さんの長島陽子さんが電話で話していた。

「節子、ありがとうね~。4日も面倒見てもらっちゃって…」
「ねえさん、何でもないわよ。それに面倒なんてみてないから。近所の武雄君という子と意気投合して、遊んでいたわ。」
「でも、ねえさん…」
「な~に 節子」
「うちに来てもね、結局テレビゲームして遊んでるわよ。」
「そうなの?」
「あまり厳しいこともいえないでしょう~。」
「いいのに…ビシビシ言ってくれて。」
「それにね、きっと一人で家に来ても、うちは二人とも娘でしょう。年下だし。だから、何して遊んだらいいかわからないのよ。」
「だって~、武雄君と意気投合してるって…その武雄君にいろいろ連れていってもらえばいいじゃない。」
「残念でした。武雄君は、寛太君の持ってるテレビゲームをしたくてたまらないのよ。外に遊び行こうなんて誘うわけないじゃない。寛太君だって、テレビゲームなら、武雄君と対等に話しできるしね。」
「武雄君のお母さんの高橋さんとお話ししたんだけど、普段も、あまり外では遊ばないんですって。このへん子どもの数少ないでしょう。だから一緒に遊ぶ友達が近くにいないの。だから、帰ってくると、テレビゲームすることが多くなっちゃうんですって。」
「そうなんだ~。もしかすると、東京より、田舎の子のほうがテレビゲームとかしてるかもね。外で遊ぶのも、寛太なんかは、無理やりサッカークラブとかに行かせているから…」
「武雄君なんかそんなクラブとかに入ってないだろうな…。クラブはいったら、そこまで、お母さんかお父さんが送っていかないといけないしね。結構大変なのよ。」
「そうね~。とにかく、ありがとうね。」
「いいえ、どういたしまして。こんなんでよければいつでもどうぞ。」
「そう言ってもらえるとうれしいわ。じゃあまたね。」
「はい、おやすみなさい。寛太君によろしくね。」

学校が始まりました。
寛太君は何とか宿題も出すことができました。
中でも、絵日記は順調でした。
それは、武雄君とのことが、たくさんかけたからです。
テレビゲームばかりしていたようですが、一緒に食べた、節子おばさんの作ってくれたご飯のことも、とっても思い出に残っています。
かじるついた丸のままのキュウリも、丸かじりしたトマトもおいしかったです。
もちろん川に遊びに行ったことは、2日分のページを使ってしまいました。
でも、そんな武夫君との思い出も、日がたつにつれて、少しずつ忘れていきました。
今日は天気も良く、夏休み明けはじめてのプールの日です。
寛太君は少し暖かいプールサイドを歩いていて、そんな忘れかけていた武夫君との思い出がふっと思い出されました。武雄君と行った、あの川での思い出です。
(あの石はどうしてあんなに熱かったのだろう。今日も、こんなに天気がいい。なのに、プールサイドのコンクリートはあの石みたいには熱くなってない…。)
なんて考えていたら、先生の笛が鳴りました。みんな揃って体操をして、そして、みんなで、ゆっくりプールに入っていきました。
そこでも、寛太君は気が付きました。
(この水は、川の水とは違う。薬臭い。わかってる、塩素だ。でも、川にはそんなものはいっていない。でもきれいだったよな。川の方がよかったな…)と、ちょっと思いましたが、それも一瞬のことで、あっという間に、みんなと、遊ぶことに夢中になってしまいまいた。
しばらくすると先生の笛がまたなりました。休憩の時間です。みんなプールから上がります。
みんな何となく休憩していますが、寛太君は、プールサイドに寝ころびながら、(あ~あの河原の石は気持ちよかったな~)と、空を見上げていました。(空も広かったしな~。)
プールが楽しくないことはないのですが、夏休みの川遊びのことを思い出してしまうのでした。
しかし、先生の笛が鳴って、またプールに入ると、そんな川のことは忘れて、夢中に友達に遊ぶ寛太君でした。

そんな風にだんだんと、武雄君とのことも、田舎でのことも忘れていったのです。

2019年3月26日火曜日

1章2節  陽子さんは友達で旅行社の福田さんに相談する

そんな夏休みから、9カ月…寛太君も小学4年生になってしばらくのときです。
陽子さんは思い立って妹の節子さんに再び電話しました。
「もしもし、節ちゃん。あたし。陽子。今度の夏休みも、寛太を預かってくれないかしら。今度は少し長くして10日ぐらいどうかしら。仕事は何でも言いつけてくれていいから。少ししごいてやってほしいの。ねえ、いいでしょう。ニワトリの世話でもさせてやってよ。」
陽子さんは編集の仕事が忙しいのでした。
夏休みだって、世の中がお盆休みだとか言っていてもそうはいかないのが現実なのです。
だから、寛太君が家にいると困るというのが本音なのです。
しかし、最近はそれ以上に本気で寛太君の育つ環境に危機感を持つようになってきたのです。
死んでしまったカブトムシを、買ってもらったデパートのおもちゃ売り場に
「これ壊れちゃった」
と持っていくこともたちの問題をまるで他人事のように記事を書いていた自分の息子がまさか同じような反応をするとは思ってもいなかったから…。
雑誌の取材を兼ねて、田植えのイベントに寛太君と出かけたときのです。
田んぼに入った寛太君が「うぇ~、気持ちわりー。何この泥きったね~」と、叫んだのです。
白い靴下を履いて入ったのですが、そこについた泥を見て叫んだのでした。
節子さんはショックでした。
しかし、周りの子どもたちも口々に気持ち悪いとか、汚いとか、叫んでいました。
そしてもっと不安になったのは、お父さんやお母さんも、そ~ね~と言っていることでした。
食べ物を育ててくれる土を汚いと感じ言葉にする子供たち。
それに何の不自然を感じない大人たち。
陽子さんはふと、これって、何かおかしいんじゃないのかしらと思ったのでした。
世の中全体が、変な方向に動き始めているのかもしれないと感じたのです。
本当は、ゆっくりと仕事を休んで、寛太と一緒に田舎で過ごしたいところですが、そうもいかない訳です。
しかし、同時に、彼の自立のためには一人で行かせるのもいいかと考えていました。
すると節子さんは、
「いいところに電話くれたわ。ちょうど去年の夏の話を武雄君のお母さんとしていたところなの。寛太君が来ることはいいわ、引き受ける。でもね、条件があるの。」
「え、な~に?」
「1人じゃなくて、10人ぐらいで来てほしいの」
驚く陽子さんをしり目に節子さんは続けました。
「去年電話で話したでしょう。こっちに来ても、寛太は武雄君とテレビゲームばかりしているって。それじゃそっちにいるときと変わらないと思うのよね。姉さんの期待に応えられないし。でね、この前ね、福田さんがきたの。それで、彼がね、近いうちに仕事辞めて何か、キャンプの学校とかいうのを始めたいんですって。で、今年はその練習をしてみたいって言ってたのよ。だったらここでやったらって。姉さん所の寛太君も来てるし、寛太君の友達やなんやら少し集めて、実験的にやってみたらって、話したの。そしたら、すごいその気になったの。きっとそっちでもう動いていると思うわ。」
「なるほどそういうことだったのね。わかったわ、じゃあ、福田さんに相談してみるわ。」

その福田さんは、旅行社に就職して10年が過ぎていました。
福田さんは、陽子さんの大学時代の同窓生です。
そして、節子さんも交えて、大学時代にしんちゃん子ども村なる、子どもたちが地方の民宿で過ごす信用金庫のイベントのリーダをしていたことがありました。
夏休みの、アルバイトも兼ねていました。
長野の山の中で20日間近く、2泊3日で来る子供たちを、全部で5団、出迎えては送り返します。
毎年そのバイトを繰り返した福田さんは大学4年のときにはなんと、村長として、その子供たちの受け入れの責任者までしていたのでした。
そして、大学を卒業してすぐに海外のキャンプに行って勉強もして来ていたのです。
卒業後も、波多野姉妹との交流は続き、彼女たちの故郷の奥山村に遊びに行ったこともたびたびありました。
そして、福田さんは、子ども村のようなものを仕事としてできないだろうかと、ぼんやりと考えていたのでした。
残念なことに、しんちゃん子ども村は福田さんが卒業するのと時を同じくして終了していました。
そのために、福田さんは、夢を実現する具体的な方法も見つからないまま、とりあえず、就職をしたのでした。
しかし、その就職は、将来ののことを考えて旅行社にしました。
しんちゃん子ども村のときに、バスの手配などを請け負っていた会社です。
中堅の旅行社で、社長さんともすっかり顔なじみになっていた福田さんは、自分の夢を社長さんに正直に話し、3年たったら独立させてほしいとお願いしての就職でした。
就職をした理由はもうひとつありました。
大学の先生に、独立をする前に、一度は社会人の経験をした方がいいよと言われていたのでした。
今の仕事は充実していますし、決して、不満があるわけではありません。
しかし、仕事をして、若い人たちや、家族連れに旅行の手伝いをすればするほど、彼らを、もっと自然の中で、楽しませてあげたいという思いが強くなってくるのでした。
しかし、就職して早くも10年3年の約束で就職したのに、踏ん切りがつかないまま、10年もたってしまっていました。
そしていまだに、具体的にどんなふうにキャンプの学校を作るかは、はっきりしませんでした。
そんなときです。
週末、なんとなく奥山村に遊びに行って、陽子さんと、寛太君の話を節子さんから聞き、これだ!思ったのでした。
ここでキャンプの学校の第一歩を始めようと。福田さんは、糸口が見つかると、行動は早かったです。
まずは何人か、専門の人たちに話を聞こうと、知り合いの大学の先生に相談に行きました。
M大学の千代田市のキャンパスにキャンプをしている松永先生です。
松永先生は、福田さんが大学生のときに、キャンプのリーダー講習会で先生だった人です。
それ以来、時々お会いしています。
そして、先生自身も子供のキャンプを夏休みにしています。
「先生、やっぱり俺、キャンプの学校みたいなことしたいと思っているんですが…」
ということで、福田さんは、陽子さんとの話や、奥山村のことなどを松永先生にお話ししました。
「なるほどね。気持ちはわかるよ。福田君。でも、食えないんじゃないかな? それを仕事にしようというのは、ちょっと難しいような気がするんだよね。私もキャンプで飯が食えたらと思ったけど、結局こうして大学の教員をしながらキャンプしてるんだよ。」
「わかります、でも、ヨーロッパやアメリカではちゃんと職業として成り立ってますよね。」
「う~ん確かにそうだが…」
「もう会社にも進退伺出しちゃったんです。」
「え、もうそこまでしちゃったの? またおもいきったね~ そこまで覚悟決めたなら、応援するしかないね。」
「じつは、今、千代田市の教育委員会から、今までのキャンプのやり方を少し考えたいって言ってきてるんだ。手始めに一緒に考えてみるかい?」
「ありがとうございます。それと、実は奥山村の友人から、そちらに子供連れてきてキャンプのようなことしないかともいわれているんです。」
「そうか…じゃあ、千代田市の子どもたち連れていくかい?」
「はいちょうどいいです。頼まれている子供も、運よく千代田市に住んでいます。」
「じゃあ、今の千代田市のキャンプの話をしておこう。そのうえで、新しいキャンプの計画を福田君が作ってくれるかい?」
「はい、わかりました。」
「どんなキャンプ学校をしたいんだい?」
「夏休みに子供たちを集めて…」
「でも、それだけじゃ、やっていけないだろう? 日本の夏休みは短いし。」
「夏休みだけじゃなくて、冬休みも、春休みもしたらどうでしょう。」
「う~ん。しかしね、教育委員会も同じようにキャンプをしているからね。それもとっても安い金額でね。」
「そうですね~」
「ただね、その教育委員会のキャンプも、問題が多いし、限界にきている感じはしているんだ。」
松永先生は今までの千代田市の子どもたちのキャンプのことを話してくれました。

すでに、十数年の歴史を持つ『千代田市子どもキャンプ』は、千代田市教育委員会が実施しています。
夏休みに、子供たちが、2泊3日で群馬県の嬬恋村のキャンプ場で過ごしています。
小学校3年生から6年生までの100人と、大学生のリーダー10人と教育委員会の先生が10人それと看護師さんが1人で行われています。
集合場所で、班分けの発表があって、10人1グループで、お世話係のリーダーがひとりつきます。
バスも、そのグループごとにまとまって乗るのです。
お見送りのお母さんたちは、とっても不安そうな顔で、子供たちを見送ります。
中には涙ぐんでいるお母さんもいますが、子どもたちはケロッとしたものです。
バスの中は、大騒ぎです。
そうこうしているうちに、嬬恋のキャンプ場に到着というわけです。
最初の日はテントを張ってご飯を作れば、もう真っ暗になります。
テントの建て方や、ご飯の作り方は、リーダーが教えてくれたり手伝ってくれます。
しかし、やはり、悪戦苦闘です。
テントは、黄色い屋根の形をしたテントです。
床の布と壁の間から外が見えてしまって、ちょっと怖いです。
虫とか入ってきそうです。
テントを立てたら、荷物をテントの中に入れて、入り口で蚊取り線香をたきます。
そうしておいて、今度はご飯作り。
まずは、近くにある石を運んできてかまどを作ります。
そこに、辰野坊を渡して、お鍋などを置けるようにするのです。
そのかまどに飯盒を載せてご飯を炊いて、大きなお鍋でカレーを作ります。
班ごとにするのですが…硬いごはんだったり、スープのカレーだったり、みんな大騒ぎです。
でも、みんなでワイワイガヤガヤ食べるご飯は、おいしいです。
と、言うより、おなかがすいていたら、何でもおいしいのですね。
夜は肝試し。スタッフは子供たちを驚かせることに命をかけているのではないかと思うほど用意周到。
洋服ケース3っつもの衣装や小道具を持ち込んで子供たちを脅かすのです。
子供たちは、もう泣き叫んでいます。
夜は、そんなことだからなかなか寝付かない。
そしてホームシックが続出します。看護婦さんは大活躍というわけです。
2日目は朝ご飯は、まだ、少し薄暗いうちから準備を始めます。
サンドイッチを作って食べるのですが、ご飯も炊きます。
おにぎりを作って、山登りのときのお昼ご飯にするのです。
山登りは1日がかりです。
帰ってくるとまたご飯を作ります。夜はトン汁です。
飯盒でのご飯もだいぶ上手に炊けるようになりました。
ご飯が終わると、待ちに待ったキャンプファイヤーです。
みんなで歌を歌ったり、リーダーがする劇を見て、大笑いです。
そして最後は花火大会です。みんな大盛り上がりです。
夜は、テントの中で、ひそひそとお化けの話をしたりして楽しみます。
3日目はテントをたたんで、帰る途中で温泉に入って、帰るのです。
帰りのバスの中では、子供たちばかりでなく、リーダーも先生方も、疲れ果てて眠りにつきます。
バスが、解散場所の市役所の前につくと、お母さんたちが大勢迎えに来ています。
中にはもう泣いてるお母さんもいます。
それを見て子供たちも、ちょっとおセンチになってしまうのです。
たった2泊3日だったのに、お母さんは、もう心配で心配で仕方がなかったようです。
ちゃんとご飯は食べた?夜は寝れた? 虫には刺されなかった? 風邪はひかなかった?機関銃のように子供たちを質問攻めにしています。
子供たちは『うんうん』というのが精一杯です。
本当は、いろいろあった出来事や、楽しかったことを話したいのですが、とりあえず、『うんうん』です。
そんな感じの『千代田市子どもキャンプ』は当時人気があって、100人の募集でしたが、毎年抽選になるぐらい応募者がいました。
参加費が安いせいもあったかもしれません。
しかし近年だんだん参加者が減ってきて、今は抽選なしで行けるようになってしまいました。
実は教育委員会の人たちが、電話をかけて、子ども達をさそって、何とか100人近くの参加者を維持しているらしいです。
そこで、何か、違う形のキャンプができないだろうかと考えてほしいと松永先生のところに教育委員会の人が相談に来ていたのです。
松永先生の話は大体こんな感じでした。

福田さんは、うなずきながら聞いていましたが、最後に先生に質問をしました。
「先生、この子たちは、年に一度、このキャンプに集まる初対面の子供たちなんですね。」
「そのとおりだよ。一期一会というやつだね。それに、毎年、できるだけ初めての子を優先するようにしているんだ。役所のする事業だから、広く市民にサービスを提供しなきゃいかん。だから、たくさんの子どもたちに経験させるために、初めての子を優先するんだ」
「なるほど~」
「ホームシックになる子どもはどんな様子なのですか?」
「そりゃあ。そんな時は看護婦さんの出番というわけだ。看護用テントがあって、そこで励ますというわけさ。それに、教育委員会の先生方の中には、お母さんもいるからね。」
「キャンプが終わった後に、その子供たちがまた会うということはないのですか?」
「う~ん、それは、ないかな?」
「キャンプの目的はどんなところにあるのでしょう」
「それは…子どもたちのリーダーシップシップ、社会性の育成…だったかな?」
「後、もうひとつ、参加者が減ってきたのは何故なんでしょう?」
「う~ん、いくつかあると思うが、最近は、ディズニーランドだとか、サッカークラブがたくさんできたりだとか、それにテレビゲームがすごい勢いではやったりしているせいかな~。選択肢が増えたというのかな。こちらは何も変わってはいないのだけれど」
「なるほど~、わかりました。ありがとうございました。すごい参考になりました。」
「何か新しいキャンプ、思いつきそうかい?」
「はい。でも、実際に今のキャンプを見学させていただけないですかね。」
「もちろんいいよ。見学するだけじゃなくて、スタッフとして帯同したらどうだい」
「いいんですか?ぜひお願いします」
そんなわけで福田さんは、その夏の千代田市の教育委員会のキャンプを見学すると同時に、新しい教育委員会のキャンプの企画をすることになりました。



約束した喫茶店に福田さんはもう来ていました。
陽子さんは、軽く手を挙げて、挨拶をすると、福田さんも笑顔で、
「げんきそうだね」とこたえました。
松永先生と会って数日後、福田さんは陽子さんに連絡を取り、今後の相談をするために会うことにしました。
「節子から聞いたんだけど、仕事辞めるつもりなんだって?」
「ああ、もともと3年で独立しようと考えていたからね。10年は長くいすぎたよ」
「そうなんだ~。で、奥山村で、キャンプの学校するの?仕事辞めちゃって、食べていけるの?」
「おいおいそう立て続けに聞くなよ。それより、松永先生覚えてる?」
「ああ、キャンプの講習会の講師だった?」
「この前、相談に行ったんだ。キャンプの学校やりたいって。それでもって、辞表も出しちゃったって話した。」
「えっ、もう辞表出しちゃったの?!」
「ああ」
「あきれた~。まあ、昔から、思い込んだら一直線だったけどね。」
「まあ、それは置いといて、松永先生のところでさ、千代田市のキャンプの話を聞いてさ、この夏のキャンプを見学させてもらうことにしたんだ。」
「えっ、奥山村でキャンプするんじゃないの? 千代田市のキャンプ見に行ったら、奥山村はどうするの?」
「大丈夫、千代田市子どもキャンプが夏休み始まってすぐに開催されるんだ。それが終わって、1週間ほど準備期間をおいて、お盆前に奥山村キャンプを催そうと思うんだ。」
「なるほど、じゃあ、夏休みに入るまでに奥山村のほうは、準備を済ませておかないといけないわね。」
「それから、千代田市の新しいキャンプの企画を考えろって松永先生に言われてさ~。そのキャンプを奥山村に持っていこうかと思ってるんだ。」
「あら、いいじゃない、ということは、費用も千代田市が出してくれるんでしょう。」
「そりゃそうだろうけど…10何年も歴史のあるキャンプなんだ。ずっと群馬県の嬬恋でやってるキャンプ地を動かすにはそれ相応の理由がいるしね。」
「そっか~」
「でも、考えてみようと思うんだ。」
「そうね。なんか作戦があるの?」
「千代田市の子どもキャンプは年に一回なんだ。それに、キャンプだけで、子どもたち人数は、だんだん減ってきてる。そこで、田植えと稲刈りをして、年3回やったらどうかと思うんだ。田植えと稲刈りはもちろんつま恋でもできるけど、キャンプ場の近くには、田んぼはないんだ。」
「やるわね~福田君」
「そうでもないけどね。」
「田植えとか稲刈りのときは、奥山村の公民館に泊まるといいわ。節子の旦那の勉さんに頼めばきっと何とかなると思うわよ。田んぼもね。休耕田がいっぱいあるあから。」
「俺もそう思うよ。」
「な~んだ、もう、織り込み済みか。」
「いや陽子ちゃんの話聞いて、心強いよ。」
「寛太をね、田植えの取材のときに連れていったの。その時にね、寛太が、田んぼに入って、汚いって言ったのよ。ちょっとショックだったわ。自分が食べてるお米が育つ田んぼが汚いって…。それに、他のお母さんたちも、そうね~って顔するのよ」
「なるほど、それ、教育委員会の説得材料になるな。」
「そう?よかった。」
こんな、情報交換をしばらくして、福田さんは、すっかり確信をもった顔になって、
「企画書書いてみるから、みてよね。」
「りょうかい!」
2人はそれから数回、いろいろ意見交換をして企画書を作り上げました。

千代田市子どもキャンプ企画書

子供たちが、日本の自然の中で、
第2の故郷を手に入れるキャンプ
そこで、リーダ-シップ、社会性を手に入れる。

開催

               第1回 田植え説明会
               第2回 田植えキャンプ
               第3回 田植えの思い出会+夏キャンプ説明会
               第4回 夏休みキャンプ
               第5回 夏休みキャンプ思い出会+稲刈りキャンプ説明会
               第6回 稲刈りキャンプ
               第7回 稲刈りキャンプ思い出会

と、言うようなものでした。

出来上がった、企画書を、福田さんは松永先生に持っていきました。
松永先生も大賛成してくれて、先生経由で、教育委員会に提案してくれました。
しかし、残念なことに、今年度の予算はそれほどなく、どうやりくりしても、1回のキャンプに予算でこれだけの事業を開催するのは難しいということになりました。
しかし、来年度に向けて検討を続けるということになりました。
それと、夏のキャンプの説明会と、思い出会は開催されることになりました。
そして、夏休みのキャンプには福田さんも参加することになったのです。
千代田市子どもキャンプの責任者は松永先生教育委員会からは桑名さんと山崎さんと原さんが同行します。
そして、育成委員会から7人のおじさんたちが応援に来ます。
リーダーは、公募されますが、育成会の人たちが、それぞれこれと思う子たちに電話をかけて集めているようでした。
さて、そんなメンバーが何回か会議を重ねて、結果として例年通りという計画が完成しました。
道具も、もう何年も使っているテントや飯盒が、教育委員会の倉庫から出されてきて、点検をしました。
福田さんはちょっとショックでした。
松永先生から聞いてはいました、これほどとは。
テントのファスナーが壊れているものもいくつかあります。
飯盒の底もべこべこです。
子どたちに貸し出す寝袋は、結構しみがついてしまっています。
寝袋用のシーツは使われていないようです。
福田さんが大学卒業後いった海外のキャンプ学校では、きちんとシーツを使っていましたし、テントなどはすでにドームテントでした。
しかし福田さんは今は何も言うことができません。
とにかく新参者として、一生懸命お手伝いするだけです。
福田さんの立場は、松永先生のアシスタントという立場でした。

2019年3月25日月曜日

1章3節 奥山村キャンプ始動

福田さんと陽子さんは、千代田市のキャンプの企画を立てるのと並行して、奥山村キャンプの計画を、本格化させていきました。
福田さんは、母校の大学に行き、学生時代のサークルの後輩に、キャンプの手伝いをしてくれるよう頼み込みました。
と、言うより、先輩風を吹かせて半ば強制的に活動に組み込ませたといってよいのかもしれません。
中身も決めなくてはいけません。
福田さんがその計画の案を作って、陽子さんのところに持ってきました。
それを見て、陽子さんはチョットびっくりしました。
まず、キャンプなのにテントではねないで、公民館に泊ります。
ご飯は作るけれど、おかまとお鍋で作る。これは飯盒とかが無いからの苦肉の策でもありました。
昼間は登山とかはしないで、田舎の子どもたちがするような、川遊びや、昼寝、夜の散歩、そして、畑仕事といった活動が並んでいました。
一番驚いたのは最後の日にあるべきキャンプファイヤーがありません。
この定番の活動の代わりにあったのは、地元の人たちとの食事会でした。
子供たちが食事を作って、地域の人たちを招待するというものです。
今までのキャンプのイメージではないな~と陽子さんは思いました。
「福田君、ちょっとキャンプっぽくないね?」
「アメリカではキャンプのことをセカンドカントリーっていうんだよ。第2のふるさとということだよね。よくよく考えたら、東京や神奈川とか、街の子どもたちはもう、故郷と言えるいなかがないんだよな。陽子さんのように田舎がある人は珍しくなってるんじゃないかな。だから、田舎の体験をしてもらったらいいと思うんだ。そうして、その子供たちがキャンプ地を故郷のように思ったら、そこの自然を大切に思うだろう。そうなれば自然破壊とかも少なくなるだろうし、節子さんみたいに故郷に戻る人もしぜんと増えるんじゃないかと思うんだよね。」
黙って聞いていた陽子さんは、福田さんの話が終わって、小さく拍手しました。
「すごい、福田君。すごくいいコンセプトだわ。」と、大絶賛です。
そして、『ねえ。この奥山村キャンプっていう名前なんだけどさ、奥山村ふるさとキャンプにした方がいいんじゃない。」と、提案しました。
福田さんも、膝を打って、「それがいい!」と、奥山村ふるさとキャンプという名前が決まりました。
「それからさ、」と、陽子さんが続けます。
「この貰い湯っていうのはなに?」
「地元の人たちの家に、お風呂を借りに行くんだ。公民館には風呂がないだろう?」
「なるほどね~ご飯を作ったりは大変かもしれないけど、お風呂入れてあげるぐらいなら、そんなに大変じゃないからいいかもね。お風呂上りに、子供たちとも話もできるしね。」
こうなると編集者の陽子さんは早速そのコンセプトや予定をチラシに作り上げてしまいました。
2人でで相談した結果、もう一歩チャレンジすることにしました。2泊3日ではなく3泊4日にしたのです。募集人数は、千代田市の半分の50人。
さてそのようなことが決まると、ここからは陽子さんのほうが、大車輪で準備をはじめました。
まず、節子さんに連絡をして、勉さんに頼んで、公民館の利用の許可を取り。ご近所から鍋釜を借りる手配もお願いしました。
節子さんも、陽子さんの頼みを受けて、村中を駆け回りました。
勉さんに公民館の利用のお願いをすると同時に、村長さんのところに行って、こんなことを夏休みにしたいとつたえました。
村長さんは、よくわからないながらも、若い夫婦が子供のためにということでするならと、うなずいてくれました。
また、地域を鍋釜を借りに節子さんが回ったもので、あっという間に村の中に、夏のキャンプの話が広まりました。
みんな節子さんにどんなことをするのか、子どもたちは何人来るんだ、何を食べるんだと、いろいろ聞いてきます。
節子さんも良くはわかっていないので、その晩に陽子さんに電話しました。
「姉さん。村中の人がいろいろ聞いてくるのよ。好意的な人が多いけど、中には否定的な人もいるみたい。それに、みんな何をするのか、わからなくて少し不安みたいなの。一度福田さんと一緒に来て説明してくれないかしら。」
「それはそうね、わかった、一度日程を調整して、お邪魔するわ。
福田さんと陽子さんは夏休み前の週末に1泊2日で奥山村に行くことにしました。
村の人たちも公民館に集まって話を聞くことにしました。
村長さんも来るとになりました。
奥山村に行くまでに、陽子さんは東京で印刷屋さんに、いつもの貸しを返してくれとばかりに大特急で、キャンプのチラシの作成を依頼しました
それを配布する先として、陽子さんの住んでいるマンションの管理組合に交渉をし、寛太君の通っている小学校にもお願いに行きました。
管理組合は何とか説得できましたが、小学校は市の後援がないと配れないとはねつけられました。
そこで、近くのスーパーに行って、レジのところにおいてもらうことにしました。
薬局やケーキ屋さん、ラーメン屋さんにも置いてもらうことにしました。
そんなことをしていると、チラシを見た、寛太君の同級生のお母さんが、これはいいわ。「うちの子も行かせていいかしら」と、聞いてきました。
陽子さんは「もちろん是非!」と、大喜びです。
そのお母さんは、「うちのマンションの管理組合でも配れるようにお願いしてあげる」と、応援してくれました。
そんなことをしていると、寛太君の学校のお母さんたちに、うわさが広がり、次々とチラシがはけていきました。
もちろん節子さんにも何部か送っておきました。
節子さんは地域の人たちにそのチラシを配りました。
地域の人たちも、そのチラシに興味津々。7月の週末が待ち切れず、節子さんのうちに、「野菜は何がいるかね~家のを使ってもいいよ。」と言ってくる始末です。
「しかし中には、子どもがうじゃうじゃ来るとうるさくなって厄介じゃな~」と、眉をひそめる年寄りもいました。しかし、全体としては、歓迎ムードです。
村の中に子供の声が響かなくなって久しかったからです。

2019年3月24日日曜日

1章4節 スタッフ集め

福田さんも、何もしなかったわけではありません。
リーダー役に名乗り出てくれた後輩たちを集め、まずは飲み会を開催しました。
とはいっても実は福田さんは下戸なのです。
自分はウーロン茶で、学生たちにはお酒を飲ませての説得です。
そこで、福田さんは陽子さんに語ったことをまた、熱く語ったのです。
「この奥山村ふるさとキャンプは、子ども達に第2の故郷を作ってあげるということなんだよ。よくよく考えたら、東京や神奈川とか、街の子どもたちはもう、故郷と言える故郷がないんだよな。君たちには故郷はあるかい?」
何人かの学生は、そういえば、私にも故郷はないな~と、いい始めました。
「故郷のない子供たちに田舎の体験をしてもらったらいいと思うんだ。そうして、その子供たちがキャンプ地を第2の故郷のように思ったら、そこの自然を大切に思うだろう。そうなれば自然破壊とかも少なくなるだろうし、そして、いずれ都会を離れて、その第2の故郷に戻る人も増えるんじゃないかと思うんだよね。そうすれば、都会の一極集中も自然に解消されるだろう。」
「先輩、いいですね。俺、野外教育専攻なんですが、大学の先生たちの理屈より、先輩の言うことのほうがずっと野外教育の価値って感じがします。日本型の野外教育ですね。」と、平野君が熱く同調してきました。
「俺は、理屈はよくわからないですけど、ボーイスカウトでキャンプずっとしてきたから、きっと役に立って見せますよ。」と、わかっているかどうかよくわからないが、なんとなく体育会系の谷口君が胸を張る。実は彼は、ボーイスカウトでも、富士スカウトという頂点を極めていたのです。
「私、広報メディア学科なんですけど…」と、ちょっと知的な感じのする伊藤さんが遠慮がちに話してきました。
「どうやって、参加者集めるんですか? それから、それ、ずっと続けていくんですか? 福田先輩は、ボランティアで来年も再来年も続けるんですか?」
「いい質問だね~。まず、募集だけれど、カントリーライフという雑誌は知っているかな。あの編集長が、俺の同級なんだ。やはり君たちの先輩だな。彼女が、応援してくれている。」
「え、カントリーライフの編集長なんですか? わたし、大好きな雑誌です。」
「まあ、本人は、まったくカントリーライフじゃないがね。彼女の故郷が奥山村なんだ。」
「なるほど~。」と一同納得の様子です。
「ふたつ目の質問だが…実は、俺は、もう、アース旅行社に辞表を出してある。この子供のキャンプをすることを仕事にしようと思ってる。今回の奥山村のキャンプは、その第一回ということで、実験的事業ということなんだ。」
「俺もやりたいです。」即座に谷口君が手を挙げました。
平野君が、「成り立つ見込みあるんですか?」と、冷静に問うてきました。
「う~ん。五分五分かな。しかし、成り立つかどうかより、今のままでは、この世の中まずいという思いが勝っているというのが、今の俺だ。」
「正直ですね。」平野君はにこやかに笑いました。果たして彼はどう思っているのでしょう。
福田さんは「しかし、この事業の成否は君たちの肩にかかっている。ということは、俺の事業の成否も、しいて言えば俺のこれから先の人生は、君たちに預けるということだ。」
「よろしく頼む」と深々と頭を下げた。
みんなが大きく拍手をしてくれました。
谷口君が「任せてください」
平野君は、「とにかく、この事業は成功させましょう」
伊藤さんは「この事業を成功させたその先の戦略も考えないといけませんね。」と、遠くを見つめていました。

キャンプ前に、みんなで集まって、いろいろなことを検討することにしました。
そこで、大学で野外教育を先行している 平野君が福田さんに提案してきました。
「福田先輩…」
「その先輩はやめてくれないか。福田さんでいいよ。」
「は、では福田さん、募集の子どもの数ですが、50人ではなくて、40人か、48人にしませんか?」
「なぜだい?」
「1グループは8人にしたいんです。ですから5グループで40人。6グループで48人です。子どもたちがグループとして機能するにはそのほうがいいと思います。」
「わかった、じゃあ、48人にしよう。陽子さんにもすぐに伝えておくよ。」
それからの段取りは平野君が、手際よく進めてくれました。
福田さんのイメージをきちんとキャンプ計画の形にして、何が必要か、どんなスタッフのトレーニングが必要か、なにを手配しなくてはいけないかなどなど。
伊藤さんがそれらをまとめて書類にしてくれます。各方面への依頼の文書なども出来上がってきました。
福田さんは、学生にあおられるように、それらを陽子さんに届けたり、直接送ったりしました。
一番びっくりしたのは、予算書でした。
3っつの予算書が出てきました。
第1案は福田さんも、学生のスタッフもみんなボランティアで実施した時の予算。
第2案は福田さんや陽子さんが報酬を受け取り、学生はボランティアのとき。
第3案は全スタッフがきちんと報酬を得るというものでした。
第4案は福田さんや陽子さんがボランティアで、スタッフには報酬を出すというもの。
それぞれに、子供たちの参加費が計算されています。
これを福田さんに手渡すとき平野君が、「福田さん、できれば、福田さんも収入を得てほしいと思います。でも、現状では難しいです。3グループ24人では採算が合わないということです。最低40人はぜひ集めたいですね。」
「そうか、ありがとう。今回は第4案の、君たちに報酬を出すという案で行こう。そのうえで、参加者が48人集まって、少しゆとりが出たら、我々も報酬を受け取ろう。」
「福田さん…」
「なんだい、平野君」
「決断の早いリーダーは信頼されます」
「えっ?」
「だって、即断即決じゃないですか。それも学生の俺の意見をきちんと聞いて決めてくれた。以前、募集人数の変更のときもそうでした。」
「そうか」と、福田さんは苦笑いしながら…「君がしっかり準備してくれてるからさ。頼りにしてるぜ」



7月に入ると、色々な準備が立て込んできて忙しくなってきました。
学生さんたちは自主的に、ミーティングを繰り返してくれます。
福田さんとの連絡役は平野君が勤めました。
休みを利用して、スタッフのトレーニングもおこなわれました。
こちらは谷口君が実に見事な指導をしてくれます。

2019年3月23日土曜日

1章5節 千代田市子どもキャンプが始まりました

千代田市子どもキャンプの説明会の日がやってきました。
参加者は80人です。お母さんやお父さんが来ていて、150人からの参加者になりました。
進行は松永先生がされます。
日程のこと、特に集合解散のこと、持ち物についてなど細かに説明がなされます。
質問のコーナーになってびっくりしたことがありました。
途中保護者が見学に行ってもいいですか?
(え~、2泊3日だぞ、途中というと、中日かい?、そしたら、結局毎日親の顔見ることになるじゃないか。)と、福田さんはあきれてしまいました。
松永先生は「中1日ですから、見学は考えていません。子供の成長のためにも、親御さんのいない日を過ごさせてあげてください。」
「そうですよね。わかっているんですが、何せ、子どもだけで外に出すのがはじめてなもので。わかりました。」
(子供が親離れしてないんじゃなくて、親が子離れしてないな~)
「虫はいないですよね?」
(おいおい、いないはずないだろう)
すると、育成委員会のスタッフの一人のおじさんが、
「あんたね~、キャンプに行くんだよ! ホテルかどっかに遊びに行くんじゃ…」
と、いきり立って話すのを松永先生が優しく制して、
「そうですね~自然の中に行くわけですから、虫はいます。でも大丈夫です、命を落とすような毒虫とか動物はいませんから。毎年、虫刺されはいますが、問題ないですよ。」
「うちの子、虫刺されに弱いんです。」
「そうですか、虫刺されは、刺されているうちに虫刺されにも強くなるものなんです。虫によては少し痛かったり、かゆいですが、ちょっとは刺されたほうがお子さん強くなりますよ。そんな風にたくましくしたくて、このキャンプにお出しになるんでしょう?」
松永先生はやさしく親御さんを諭していきます。
(いや~松永先生に学ぶところは多いな。奥山村のキャンプの説明会でも、こんな質問が出るんだろうな。メモしとくか。)と、福田さんは一生懸命にメモを取りました。

お父さんお母さんも、この説明会でだいぶ安心してくださったようです。
終了後、松永先生と福田さんは、一緒にお疲れさん会をしました。
「先生、あの、育成会のおじさんたちはいつもあんな感じなんですか?」
「ああ、集合場所でお母さんを怒鳴りつけたこともあってね…」
「それでよく子供たちが付いてきますね。」
「まあ、それもあって、参加者が減ってるのかもしれんがね。本人は大切な教育だとおっしゃるもんだから、どうにもね~」
「確かにそれは正論ではあると思いますが。難しいですね。」
「君にも迷惑かけるね。」
「いえいえ、何でもないです。」

キャンプ当日、参加者は、75人になってしまいました。
風邪を引きましたとか、お腹が痛いとか、はては、ちょっと都合が悪くなりました。
そう知った時点で、育成会のおじさんは、ご機嫌が斜めです。
オジサンがご機嫌斜めだものですから、教え子だったリーダーたちはちょっとビクビクている感じがします。
しかし子供たちはそんな事お構いなしです。
元気にはしゃぎまわっています。
福田さんはこの風景を見て、(子供はこうでなくっちゃいけない。大人に飼いならされたような今の子どもは不自然だ)とほほえましく見ていました。
自然の中で、自然な子供を育ててあげないといけない。これでいいんだ。と、思っていた時です。
「こら~!いつまできゃあきゃあ言ってるんだ、きちんと集まって、言われた班ごとに並ばないか!~」と、育成会のおじさんが怒鳴りました。
集合場所全体が、シ~ンとなりました。
松永先生は何事もなかったように、出発のセレモニーに入りました。
出欠を取って、市役所の人のあいさつを受けて、ご家族の人に行ってきますのあいさつをして、それぞれのバスにリーダーを先頭に乗車していきました。
まるで、子供と永遠の別れとでもいうように、ちぎれんばかりにハンカチを振って、涙を流しているお母さんもいます。そうかと思えば、お父さんとどこかに出かけるのでしょうか、おしゃれな洋服を着てさっさと車に乗り込んでしまうお母さんもいました。

そんな風景を見ながら、福田さんは、(子供のキャンプは一筋縄ではいかないかもしれないな~)と思っていました。

キャンプは、松永先生に伺った通りに展開していきました。
福田さんのイメージと少し違ったのは、結構体育会系というか、軍隊調というか、そんな感じで毎日が進んでいったということです。
かの、育成会のおじさんが、ほとんどのシーンを仕切っています。
他の育成会の人たちは、食料の配布の段取りをして、あとは、本部テントでお茶を飲んでいることが多いのです。
そのおじさんだけは、集合や、色々な指導を計画書を無視して進めていきます。
準備の段階でしていた役割の人が説明を終わった後に再度出てきて、もう一度、「いいかお前たち…」と同じ説明を繰り返すこともしばしばでした。
とはいえ、リーダーたちは一生懸命に子供たちの面倒を見てくれ、楽しいキャンプがあっという間に終わりました。
雨に降られることもなく、福田さんが、 正直拍子抜けするほど、お話を聞いた通りにキャンプが進んだのです。
まるで、昨年と同じキャンプを、劇か何かで再演しているのではないかと思うほど、先生から聞いたようにキャンプが進んで、終わりました。
出迎えのご家族は子供を見て、出発の時以上に涙ぐみ、それに誘われて子供たちも涙ぐみ、リーダーも涙ぐみ、みんな涙ぐんでいました。
しかし福田さんはこの涙が唯一イメージとは違ったことに気が付きました。
先生からお話を伺ったときは、リーダーと子供たちが別れがたく、一緒に過ごした2泊3日の体験を惜しむように抱き合って、涙ぐむのかと思っていました。
しかし現実は、子供はご家族と、そしてリーダーはリーダー同士で抱擁をして涙しているのです。
なにか、2泊3日のキャンプを無事乗り越えて、普段の生活に戻れることを喜んでいるように見えたのです。
福田さんは、その疑問を、打ち上げのときに松永先生にぶつけてみました。
すると松永先生は「そうか、今までそんなこと考えてもみなかったな。」と、首をかしげていました。

まあ、秋の思いで会で様子を見ましょうということになりました。

2019年3月22日金曜日

1章6節 奥山村の説明会

千代田市子どもキャンプから帰ってみると、奥山村キャンプのほうは大変なことになっていました。
なんと48人の募集に対して、100人を超える応募があったのです。
仕方がないので、抽選会を急きょ開催して、参加者の48人、キャンセル待ち5人を決めました。

そんな喜びもつかの間、すぐに陽子さんと一緒に奥山村に説明に行く日になりました。
平野君も一緒に行くといってくれて、3人で説明に行くことになりました。

説明会は節子さんの旦那さんの勉君が準備してくれました。
公民館に30人近くの村の人が詰めかけています。
しかし会が始まるころには、奥さんたちも集まり始め60人近くになりました。
しかし、説明会の会場には初めからいた30人ぐらいの人がいるだけです。福田さんは「あとのお母さんたちは?」と勉君に聞くと、「夜の宴会の準備ですよ。」と答えてきました。(なに、そっちの方が重要なの?)と思い苦笑しました。

説明会の進行台本も平野君が作ってくれてありました。
勉君はそれを見ながら進めていきます。
まず初めに福田さんが、その思いを語りました。
「今の東京の子どもたちには故郷がありません。というより、このままだと、ウサギおいしかの山、こぶなつりしかの川という故郷をもつ子供はいなくなります。みんな都会っ子になってしまいます。すると、故郷の自然が大切だと思う人間が将来いなくなるということです。この『奥山村ふるさとキャンプ』は、子供たちに第2の故郷を持ってもらうということなのです。
故郷のない子供たちにここで田舎の体験をしてもらいたいと思います。そうして、その子供たちがここを第2の故郷のように思ったら、ここの自然を大切に思うでしょう。そうなれば自然破壊とかも少なくなるだろうし、そして、いずれ都会を離れて、第2の故郷のここに戻る人も出てくるんじゃないかと思うのです。そうすれば、都会の一極集中も自然に解消されるのではないでしょうか。急激ではないですが、時間もかかりますが。東京一極集中は戦後の流れと考えたとしても、60年以上かかって進んだことです。60年かけて以前の奥山村に戻しましょう。」
この話の、故郷という言葉に、おじいさんたちは大きくうなずいてくれました。
その後、具体的な説明については、実に痒い所に手が届くという説明会でした。
平野君の準備と、勉さんの進行のたまものです。
一番びっくりしたのは、
最後のほうで、平野君が、「ひとつ付け加えさせていただけますでしょうか?」と発言を求めました。
そして、
「福田さんは、この子供たちのキャンプを仕事にしようとしています。と、いうことは、この奥山村でのキャンプをずっと続けていきたいと思っているということです。この夏一回ぽっきりのイベントではなくて、ずっとずっと子供たちがこの地を訪れる、それを仕事にしようとしていらしゃいます。私は、それが仕事として成り立つか、色々と計算してみました。しかし、どうしたって成り立たないのです。しかし福田さんはしようとしている。何故でしょう。銭金じゃないんですね。わけは二つあると思います。ひとつは、現代の子どものため。もう一つは、奥山村をはじめとした地方の過疎の村の活性化のためなんだと思います。」
平野君は、ここでちらっと福田さんのほうを見ました。福田さんは深くうなずきました。
「私は計算しました。その計算をしているときに気が付いたんです。私は経費をすべて東京の価格で行っていました。しかし、子供達に食べさせるキュウリをみなさんが格安で提供してくれたら、ジャガイモや玉ねぎや…そうすると、相当に経費は抑えられる。布団や毛布も、みなさんのおうちにあるもので余分なものを安くお借りできれば…東京でレンタルする半分以下におさせさせてもらえれば、もしかするとやっていけるかもしれないと思ったのです。」
「可能性が見えてきた瞬間でした。まだ、それでどれぐらい儲かるかというような計算はできません。なぜなら、いくら削減できるかがわからないから。でも可能性あるでしょう?」
と、平野君は大きく息を吸い込むと村の人たちのほうに視線を巡らせました。
すると、以前『子どもがうじゃうじゃ来るとうるさくなって厄介じゃな~』といっていたおじいさんが、「野菜を売るなんてことをお前たちにするわけがなかろう。」と、いうのです。一同、シンとして、緊張が走りました。するとおじいさんが続けて「子供たちのための仕事じゃ、みんなただでもってきてやるわい。そうじゃろう皆。」と、村の人たちを見まわしました。村の人たりは一斉に破顔して拍手喝采です。
これで、すべてが終わりました。
後にのこった説明は、すべて宴会の中でということになりました。その辺は勉さんが阿吽の呼吸でまとめてくれました。
そうなると、あとはもう、宴会モードです。
お母さんたちの手作りの料理が手際よく並べられました。
宴会になってほどなくして村長も駆けつけてきました。
入るなりその雰囲気を見て、勉さんに「説明会はうまくいったようじゃな。」とにんまりと耳打ちしました。
勉さんはOKサインを出してから、大きな声で、村長がお見えです。と怒鳴りました。しかしその声もかき消されるれるほどの盛り上がりでした。とりあえず、形ばかりのあいさつを村長がすると、あのおじいさんが、「村長こっちこお、この平野ちゅう男は大した太い男じゃ。見込みがあるよって、この村に引っ張り込まにゃあいかんぞ。」と平野君の肩を抱いて真っ赤な顔をしています。
平野君もまんざらでないようで、楽しそうに飲んでいます。


すると、おとなしそうな、おばさんが福田さんに近寄ってきました。
「この予定表にある食事会というのは、わしらが食事を用意してやるだか?」
「いいえ、逆です。村の中をお騒がせしたお詫びというか、お世話になったお礼に、みなさんに子供たちが食事を作っておもてなししようと思っています。」
「そんなことしてくれるだか?」と、うれしそうです。
「はい」
福田さんもにこやかに答えました。
「差し入れでも持って行ってやらにゃ、いかんな。いいんじゃろ?」
「はい、そうですね。よろしくお願いします。詳しくは又勉君からお知らせします。」
「大丈夫、わしからいっとくで~」
「そうですか?ありがとうございます。」
すると、もう一人のおばあさんが、「この貰い湯というのは、わしらのうちに、子供たちが風呂に入りに来るちゅうことだな?」
「はい、その通りです。勉君にお願いしますが、お願できる方は手を挙げていただいて、できれば2~3人づつお願いしたいと思っています。」
「飯は食べさせんでもいいんかい?」
「はい、そこまでお世話になっては申し訳ありませんので…」
「そんなことないがね~。飯も一緒でもいいぞ。」
「ああ、それはありがとうございます。ではそれはまた来年ということで、今年はとりあえず、お風呂だけお願いします。」
「そうかい・・・」
「はい、よろしくお願いします」
おばあちゃんは何か残念そうでした。
しかし福田さんは、いっぺんに何もかも欲張ると、先々、苦しくなると思いました。
お風呂だけでも大変なのではないかと思っていたからです。
しかし、そんな宴会の中での話はみな好意的でした。

福田さんは、この雰囲気の中で、このキャンプは成功したと思いました。そしてちょっと涙ぐんでいたのでした。

翌日は、平野君たちと、いくつかの活動で使う場所を下見して回りました。
川や、林、そして、昨夜これなかった方のお家にもご挨拶に行きました。

東京に戻ると、すぐに、参加者の保護者説明会です。

この説明会は、千代田市の説明会で学んだことと、奥谷村でのことをおりまぜて、つつがなく進めることができました。
もちろん、福田さんはここでも、キャンプをなぜするかという思いを語りました。
「お父さん、お母さん、皆さんには故郷がありますか?では、お子さんは、その故郷を自分の故郷だと思っているでしょうか?」
お父さん、お母さんは、お互いの顔を見合わせてささやきあっています。
福田さんは続けます。
東京が故郷の人がいるかもしれません。
江戸っ子っていうやつですね。
でも、多くの人は地方から出てきた人です。
しかし、その地方の故郷に帰らなくなっていってしまう。
おじいさん、おばあさんがなくなり、だんだん縁がなくなっていく。
そうなると、お子さんは都会っ子になっていくのです。
日本中の子どもがどんどん都会っ子になっていく。
このままだと、ウサギおいしかの山、こぶなつりしかの川という故郷をもつ子供はいなくなります。
すると、故郷の自然が大切だと思う人間が将来いなくなるということです。
この『奥山村ふるさとキャンプ』は、子供たちに第2の故郷を持ってもらうということなのです。
田舎に、自然の中に故郷のない子供たちに、奥山村で田舎の体験をしてもらいたいと思います。
そうして、その子供たちが奥山村を第2の故郷のように思ったら、奥山村の自然を大切に思うでしょう。
そうなれば自然破壊とかも少なくなるだろうし、そして、いずれ都会を離れて、第2の故郷の奥山村に戻る人も出てくるんじゃないかと思うのです。
そうすれば、都会の一極集中も自然に解消されるのではないでしょうか。
急激ではないですが、時間もかかりますが。東京一極集中は戦後の流れと考えたとしても、60年以上かかって進んだことです。60年かけて戻しましょう。
「そんなことのために子供をキャンプに出すんじゃないわ。」と、言われるかもしれませんね。確かに、それは、結果的に出てくる副次的成果と言えるかもしれません。では、本当に求める成果は、お子さんが、自然な体験を自然の中ですることです。
今、お子さんが10歳だとしたら、10歳の時にしなくてはいけない体験をしてほしいのです。
今は勉強しなさい、それは後でねということありませんか? 
そのあとでねは、あとではできないことが多いのです。
ですから、今、子どもがしなくてはいけないこと…それは、子どもを自然の中に放り出しておいて、子どもがしたいと思うことです。
生き物として、10歳の時に体験しておかなくてはいけないことは、本能的にしたいと思うはずです。
動物の本能として。その体験をお手伝いするのが私たちのキャンプの目的です。
そういう体験をしておくと、将来、子どもたちは、社会性の動物として大きな能力を発揮することができると思うのです。
喧嘩もするでしょう、擦り傷も、虫刺されも、たんこぶも、みんな子どものときの思い出にあることでしょう?
お子さんにも体験させてあげましょう、そして思いで作ってあげましょう。大丈夫です、大けがや、大事故にしないように私たちがいます。いかがでしょう。お許しいただけますか?

話が終わると、お父さんお母さんから拍手が起きました。
この拍手は、賛同の拍手でした。
とは言いつつも、びっくりすような質問も出ました。テントにはエアコンはついているのでしょうか?とか…が、千代田市のときの勉強が役立って、福田さんは落ち着いて答えてあげることができました。
父さんお母さんも安心して、そして、そうなんだと、腑に落ちてお帰りになったようです。

実はこの間ちょっとした工夫を平野君はしてくれました。

それは、一緒に来た子どもたちは、ずっと一緒に説明会を聞くのではなく、子ども達と親御さんが一緒に聞く必要があるときは一緒に聞きますが、その後、親御さんに聞いてもらえばいい説明は、子どもだけ集めて別の場所でリーダーたちとグループ分けをしたりゲームをしたりして過ごしたのです。
すでにここでキャンプが始まっているのでした。
これは、キャンプ当日になって、大きな成果を発揮することになります。

2019年3月21日木曜日

1章7節 奥山村ふるさとキャンプ始まる -1日目-

さて、そのキャンプ当日です。48人のこどもは誰一人お休みはありませんでした。
数日前に、スタッフは電話をかけて、キャンセル待ちの子どもたちにお詫びをしました。
同時に、参加の子どもたちに風邪ひかないように、体調崩さないようにねと電話を入れたのでした。
平野君の運営は、本当に微に入り細にわたりでした。
電話をしたスタッフは説明会で子どもの顔と名前が一致していますし、子どももスタッフの顔がわかっているので、電話もスムースでした。
なんと、平野君はその電話をさせるために、スタッフにテレホンカードまで配っておいたのでした。

集まってくる子どもたちは、自分のリーダーを目指して走ってきます。
リーダーは子どもの名前を呼んで出迎えます。
説明会に来なかった子供も、リーダーは写真を見て、名前を頭に叩き込んでありました。
そんな子のほうが、リーダーは丁寧に出迎えます。
自分の名前を伝え、君と4日間一緒に過ごすリーダーだからよろしくねと、出迎えるのでした。
子ども達は自然にグループごとになります、各リーダーは全員集まったかどうかを平野君に報告します。
集合時間のずいぶん前に全員が集まってしまいました。
お父さんやお母さんは、ちょっと取り残された感じで、おろおろしています。
平野君が、静かな口調で、
「では、出発式を始めましょうか」
子供たちはリーダーの誘導で、静かに平野君のほうを見つめました。
平野君は、福田さんを促します。子供たちの前に福田さんが進み出ました。
福田さんは子供たちへのあいさつとお父さんお母さんへのあいさつを手短にではありますが分けてお話しました。
お父さんお母さんは大きくうなずいていました。
そんなセレモニーも終わり、子どもたちがバスに乗り込みます。
それでも不安そうなお母さんがいます。
福田さんはそんなお母さんを見つけるとやさしく話しかけました。
「何か御心配事がありますか?」
「うちの子、一人で出すのはじめてんです。」
「大丈夫、きっとたくましくなって帰ってきますよ。お母さんがびっくりしてしまうほどね。」と微笑みました。
お母さんも安心したようにうなずきました。
また別のお母さんに歩み寄ると
「うちの子、好き嫌いが激しくって…」
「わかりました、ちゃんときいています。でも、キャンプ中に一つでも食べられるようになるといいですね。特に野菜は新鮮でおいしいですから、きっと大丈夫ですよ。」
「そうだといいのですが、よろしくお願いします。」

そんな会話を交わしているうちに子供たちはバスに乗り込みました。
もちろん寛太君も参加者の一人として、バスに乗り込みました。
福田さんは平野君から、全員乗車の報告を受けると、お父さんお母さんに、深々と頭を下げて「行ってまいります、お迎えは、8月4日日曜日17時にここでお願いします。」と言うと、笑顔でバスに乗り込みました。 

バスの中は、てんやわんやです。
カメラマン兼記録係の伊藤さん。
グループのリーダーをまとめる谷口君。
そして、実質的に全体を取り仕切る平野君。それにリーダーが6人。福田さんの大学の学生さんです。川上さんと今野さん、それに神保君らが乗り込んでいます。
看護師さんは、奥山村の診療所とのタイアップで乗り切ることにしたので、奥山村までみんなで何とか無事に乗り切らなくてはなりません。
しかしそんな心配は、無用でした。
谷口君はバスガイドさんすら笑い転げてしまうほど、楽しく子どたちとゲームをしてくれました。
子どもたちは大はしゃぎです。
合間に、川上さん達がおやつを配ります。
これも大喜び。なぜなら、おやつは持ってこないでねと言ってあったからです。
4日の間、おやつが傷んで、おなかを壊したりしたらいけないと判断して、おやつはまとめて配ることにしたのです。

そんなことをしているうちに、バスは無事に奥山村の公民館に到着しました。
奥山村の公民館に節子さんと勉君。それに村の人が何人かお出迎えしてくれました。
子供たちは、畑の真ん中にある公民館に興味津々。
駐車場兼運動場兼活動広場が公民館の前に広がっていて、その周りを櫻の木々が囲んでいます。
公民館は平屋で、30畳の畳敷きの部屋がふたつと10畳の部屋がふたつこちらは板張りの部屋です。それにキチン兼ダイニングの部屋があります。
何とも贅沢な平屋です。
男の子と女の子が各々畳敷きの30畳の部屋に分かれて荷物を入れます。
グループは男の子女の子が混ざった5グループですが、寝るときは、男女それぞれに分かれます。
荷物を置いたら、散歩に出発です。
公民館前の広場に集まりました。
福田さんはみんなの前で、こんな話を最初にしました。


「今日から帰るまで、みんなはここ奥山村で暮らします。ですから4日間は奥山村村民です。ですから、今から村長さんに挨拶に行きます。
途中で村の人にあったなら、きちんと挨拶をしましょう。そして、自分が何というものか、ちゃんと自己紹介しましょう。
子どもたちは一斉に「は~い」と返事をしました。
説明会のときに、リーダーたちと子供たちは一緒に遊んでいたこともあり、とても打ち解けた雰囲気です。バスの中でのゲームなども、功を奏しているようでした。
福田さんは滑り出し順調だと思いました。

ではしゅっぱ~つと、言うと、グループごとにリーダーを先頭に歩き始めました。 

8人づつのグループが6つ。
田中裕子さん、川上明日香さん、今野美紀さん、福野哲也君、神保正一君、野口透君、それぞれリーダーです。

田中さんは、リーダータイプ。男勝りといったところでしょうか。
子どもたちと一緒にいると生き生きしています。
グループの先頭を切って歩きはじめました。

川上さんは、お母さんのようなタイプです。
みんないくよ~と、いって、歩いていきます。

今野さんは、優しいお姉さんタイプ。
さ、行きましょう。といって、子供たちと一緒に歩き始める感じです。

福野君はスポーツ好きのノリのいいタイプです。
子どもたちのいい兄貴分です。

野口君はノリのいいお調子者
自分がいたずらを仕掛けていくタイプです

神保君はおっとりタイプですが、結構几帳面なようです。
ひとりひとりに気配りを忘れません。
神保君は最後のグループとして、出発していきました。

福田さんは後ろからついていきます。
平野君と谷口君は勉君が公民館に用意しておいてくれた軽トラックで先回りをして村役場に向かっています。

この散歩は、実は、福田さんやスタッフにとってちょっとした冒険なのです。
公民館から村役場までは4キロ弱あります。普通に歩くと1時間ほどかかります。子どもたちがこの散歩での一時間を、子ども達が歩き通せるかどうか。どうやって移動させるか、バスを使うかどうか考えたのですが、ちょっとした冒険をしてみよう。
少し心配ではありましたが、子ども達に歩かせてみようということになったのです。
歩いて、あの風景を見せたいと平野君はいいました。
それに、道すがら、村人との交流もあるかもしれないと思ったのでした。

役場への道すがらの景色は、まさに里山の風景というにふさわしい素晴らしい景色です。
公民館を出て、道を右に折れて下っていくと、目の前に、今は緑の田んぼが広がります。そしてその先に、小川が流れ、そこにかかった小さな橋を渡ると、木々が道にかぶさるように茂っているのです。そこを上ると、杉並木の道になります。昔の街道だったのでしょう。太い杉が何本も連なっています。
そしてまた、田んぼの中に入っていくという具合です。

途中の田んぼで作業をしている人がいました。
田中さんのグループが通りかかると、子供たちが、元気良く、口々に「こんにちは~」と、挨拶をします。
すると、そのおじいさんが、「お~、いよいよ来たか~。元気がいいの~」と、答えてくれました。
すると、田中さんのグループの一番の元気者の通称テル君が「僕は、テルと言います。よろしくお願いしま~す」と、挨拶しました。
すると、みんな次々に名乗るではありませんか。
おじいさんは、驚くやらうれしいやらです。
みんなの名前を聞き終わると、「そうか、わしは、堤光です。この辺りは堤という名字が多いから、光さんと呼んでくれ。」と答えてくれました。
「わかりました、光さん。よろしくお願いしま~す」と、子供たちは口々にあいさつしながら、進んでいきました。
田中さんは最後に、「お忙しいところすみませんでした。」と、あいさつをすると、「なに、な~に、楽しい子たちじゃ、今夜うちに来るのはどの子かな?」と貰い湯の子は誰かを聞かれました。まだ田中さんもわかっていなかったので、「すみませんまだわからないのですが…」「そうか~テル君だといいがな~」と、さっそくお気に入りになったようでした。
実は、各グループは、同じ道を歩いているのではなかったのです。
夜の肝試しの散歩から、そのまま、貰い湯に行く計画のですが、その貰い湯のおうち方面の道をそれぞれのグループは歩いていたのです。
ですから、おうちの近くの田んぼで働いている人たちは、そこで、すでに、今夜お世話になる子供たちとご対面する状況になっていたのです。
これは、平野君と谷口君のアイデアでした。そして、すでにそれが、功を奏した結果となっているようでした。
それぞれのグループが役場の駐車場に到着し始めました。平野君と谷口君が待ち受けていて、到着する子たちから順番に飲み物を配ります。
皆思ったよりも元気に歩き通したようでした。
全員が揃ったところで、村長さんにご挨拶に行きます。
村長室は、子供たちでいっぱいです。
そして村長さんが、
「今日はよく来ましたね。君たちは今日から4日間ここ奥山村の村民です。みんな仲良く、楽しく、いっぱい遊んでください。そして、村の人たちとも仲良くしてください。いいですね。では、村の人たちが、皆さんを歓迎して、用意してくれた、お米と野菜を持って帰ってください。」と言って村長室から外に出ると、そこにはリヤカーにお米と野菜が山盛りになっていました。
「みんなで助け合って、公民館まで引いていけるかな?」
「は~い」
そういって、子供たちは我先にリヤカーの先棒にとりつこうとします。
谷口君が、それを制して、「みんな、まずは村長さんにお礼を言わないといけないだろう。」
「ありがとうございました!」
「は~い、またあとで、公民館に顔を出すからな~」「は~い」
村長さんもご機嫌でした。
そして村役場の職員の人たちも笑顔で、見送ってくれました。
子供たちはリヤカーにまとわりついたり、谷口君が用意したロープでリヤカーを引っ張ったりしながら、公民館に戻っていきました。
途中、下り坂や、上り坂があり、そのたびに四苦八苦しながらも、どうにかこうにか、公民館までリヤカーを引いてくることができました。
もう、夕方近くになっていました。

「さて、では、この野菜を使って晩御飯を作ることにしましょう!」と、谷口君が高らかに宣言します。
「お~!」
子供たちは、どんどんたくましくなっていくように見えます。

公民館の前の広場で、「くど」と「はがま」でご飯を炊きます。
子供たちは不思議そうにこの道具を見ています。
谷口君が、説明を始めました。
これでご飯を炊きます。
これは「くど」と言って、かまどの役割をします。ここで火をたいて、上にこのおかまを載せます。ほら、この土星の輪のような羽がちょうどうまい具合にこの「くど」の上にひっかかるでしょう。
では、公民館の裏にまきになる木や枯葉があるので運んできてください。そして、何人かはお米を洗うのを手伝ってください。
後、何人かは公民館の中の調理室で、トン汁と作ります。
おかずは、トン汁と、サラダ、それにお漬物です 。

公民館の周りに、たき火の煙が立ち込めていきます。
夕焼けが西の空に広がり、ひぐらしが鳴き、煙の香りの中に、ご飯の炊けるにおいが混ざっていきます。
子供たちの声が、夕焼けの空に響いています。
福田さんは、この風景を見て、ああ、これが、故郷の風景だ…と、ひとりごちるのでした。

そんな郷愁に一人浸っていると、視界の片隅に、女の子が一人しゃがんでいました。
見ると、最年少参加の小学3年生のあかりちゃんです。
「あかりちゃん、どうした。」
と、福田さんが話しかけても返事をせず、しくしく泣いているばかりです。福田さんが途方に暮れていると、今野さんが近づいてきました。そして福田さんにそっと「きっとホームシックです。私が、付き添いましょう。」と、言ってくれた。
福田さんは正直ほっとすると、「じゃあたのむよ」と、軽く頭を下げました。
そういえば、若いときのキャンプでも、そんな子がいたな~。すっかり忘れちゃってる。今野さんは、あかりちゃんと一緒にしゃがんで何やら話し込んでいる。お任せておいて大丈夫だろうなと、福田さんは、再び、大騒ぎしている子どもたちのほうに、歩んでいった。

今野さんは、そっとあかりちゃんの肩に手を置くと、すぐ横に、一緒にしゃがみこんだ。
「どうしたのかな…」
「・・・」
「寂しくなっちゃったかな?」
「・・・」
返事はなく、しくしくとしゃくりあげるばかりです。
今野さんはあかりちゃんをそっと抱き寄せると、「夕焼けきれいだね~」と、言ってしばらくじっとしていた。
すると、あかりちゃんが…「お家に帰りたい」と、ポツリとつぶやいた。
「そっか…帰りたくなっちゃった? でも、おうち遠いしね…それにほら、いい匂いしてきたよ。トン汁でしょう。お姉さんはおなかすいちゃったな~。あかりちゃんはおなかすかない?」
あかりちゃんは小さくこくりとうなずいてくれた。
「よ~し、じゃあ、おいしいトン汁食べに行こう。みんなの分もよそってあげようよ。」
「うん…」と、おずおずと今野さんと一緒に立ち上がった。
実は、あかりちゃんは今野さんのグループの女の子だったのです。
今野さんはあかりちゃんをトン汁づくりをしている台所に連れていくと、みんなで一緒によそるお手伝いをしてくれるようにお願いしました。
すると、元気者のテル君が、他のグループにもかかわらず、「おっしゃ、一緒によそうのやろうぜ」と楽しそうに請け合ってくれたのです。
今野さんは、微笑んで、「じゃあ、テル君一緒にしてくれる?」「まかせとけ」と、軽快です。
そして、「えっと、名前は?」
あかりちゃんは小さな声で、「あかり」
「あかりちゃんか、よっしゃ、あかりちゃん、一緒におわんを取りに行こう!」
「うん」
少しだけ声が出てきたあかりちゃんは、お兄ちゃん格のテル君の後ろから、食器棚に向かいました。
今野さんは…(とりあえずは大丈夫かな…でも、今夜もう一回ぐらい、お家に帰りたくなっちゃうかな…きおつけておかないといけないな。)と、思いながら、微笑んでふたりを見ていました 。

夕食は男の子の部屋と女の子の部屋のふすまを取り払って、机を並べました。
みんなワイワイガヤガヤ。
グループごとにまとまって座りますが、いただきますは、みんな一緒に、谷口君の「いっただきま~す」に合わせて大合唱をして、夕食が始まりました。
すでに午後7時を少し回っていました。
夕食を食べ、片づけをし、お布団を敷くとすでに8時を少し回っていました。
みんなよく食べました。

さて、襖を取り払った大きな部屋に、全員がもう一度集まると、平野君が話を始めました。
「みんなしおりは出してあるね?」
スタッフが、再度集まるときに子供達に話をして、しおりと筆記用具を用意させていました。
「しおりの予定のところを見てみよう。今日のページを見て。」
今日の1日の行動を振り返ります。
この村について村長さんにご挨拶をして、食べ物を運んできたこと。
その途中で、村の人たちに挨拶をしたこと。
その時のエピソードなどもスタッフから引き上げてあり、いくつか紹介しました。そして、みんなで、晩御飯を作ったことなどです。
そして、話し終えると、
「みんなは何が楽しかったかな?楽しかったことをそのしおりの今日の日ずけが書いてあるページに書き留めておこう。忘れないようねね。そして、そして、お家に帰って、そのページを見せて、家族の人にお話しできるようにしておこう。小さな子たちは絵を書いてもいいよ」
と、いって、各リーダーに書き始めるよう小さくうなずいて促しました。
しばらくは、あちらでヒソヒソ、こちらでヒソヒソと話がありましたが、だんだんと子供達は書くことに真剣に向かい会い始めました。

書き上げる時間は子供によってまちまちです。書き上げた子供が飽き始めて、いろいろ動き始めます。
見計らったように平野君は「書けた子は一度外に行こうか。しおりをリーダーに渡して、筆記用具をしまってから外にいる谷口君のところに集まっていて下さい。」
谷口君がそとでてをあげています。
何人かの子供がごそごそとたちあがり、かたづけをして外に出て行きます。

谷口君は外で、何やら子供達と話をしています。
そして、子供たちは、それぞれ、桜の木下をこちらの桜の木からあちらの桜の木下まで、行ったり来たり歩き始めました。
後から行った子供たちも谷口君と話をすると歩き始めました。
歩き終わった子供は、谷口君に耳打ちをすると、喜んだり、がっくりと肩を落として、また歩き始めたりです。
喜んだ子は、再び谷口君に何か囁かれ、今度は石ころを拾い始めました 。

そんなことをしているうちに、全員が日記を書きを書き終わりました。
平野君も外に出てきました。
月の綺麗な夜でした。
子供たちは野菜を運んだりするコンテナを椅子にして座り、ました。
「さて、明日の話をしましょう。」と、平野君が切り出します。
「谷口君に話してもらいましょう」
子供たちがぐっと身を乗り出しました。

谷口君がみんなの前に出てきて話はじめます。

明日は朝起きたら、みんなで、ここで朝ご飯を作ります。
サンドイッチです。自分で好きなものを挟んで食べます。
子供たちがざわつきますが、谷口君は構わず話し続けます。
食事がすんだら、川遊びに出かけることにしましょう。
今度は、歓声が響きます。
谷口君はしばらく待って、続けます。
お昼ご飯は、川でお弁当を食べます。
川に入って遊んだ後は、帰って来て、お昼寝です。
そのあと、晩御飯を食べます。
そして、その後、村の中を歩いて、みんなそれぞれ村の方々のところに行って、お風呂にいれてもらいます。
「温泉?」すかさずテル君が声をあげます。
谷口君は、それには答えず、
何人かづつ村の方々のお家にお邪魔して、お風呂に入れてもらいます。これを「貰い風呂といいます」
お風呂に入れていただくので、それぞれのお家で失礼のないように注意して下さいね。
お風呂から出たら、リーダーが迎えにくるまで待っていてください。
勝手に帰ってこないように。
帰って来たら、きっともうおやすみの時間です。
以上が明日の予定です。
何か質問はありますか?
「お昼ご飯と、夜ご飯は何を食べるんですか?」
と、〇〇君が叫びます。
「おお、いい質問ですね」
「お昼ご飯はお弁当を、頼んでありますから、何がくるかはお楽しみですね。晩御飯は、私たちスタッフが、用意しあげます。」
子供達は興味津々でざわざわとなりました。
谷口君がみんなの前から下がって行くと、代わりに平野君が出てきて…
「谷口君の話はわかったね。何かわからないことがあったら、それぞれのリーダーに聞いてください。
ちょと空を見てみようか。」
子供達は空を見上げます。
「月が綺麗だね。」
そういうと、平野君は「月にのぼったうさぎ」という話をみんなにして聞かせました。
15分ほどのお話でしたが、子供たちは、かたずをのんで、聞いています。
「それでは、今日はこれでおしまいです。こから、それぞれ寝る支度をしましょう。」
子供達は、すっかりシ〜ンとしています。
そして、ぞろぞろと部屋の中に戻って行きます。部屋はすでに他のスタッフによって机が片付けられ、襖で2つに仕切られいます。
子供達はそれぞれの部屋に男女に分かれ、協力して布団をしいいて寝る支度を始めました。

今野さんは、何気なくあかりちゃんの横に添い寝しました。
すでに少し涙ぐんでいたからです。
しかし一日の疲れが出たのか、今野さんが隣にいてくれたことで安心したのか、ほどなくすやすやと寝息を立ててしまいました 。

10時近くまで、各スタッフも三々五々子供たちの間で、寝かしつけていましたが、平野君がそっとスタッフのみんなに目配せをしてキッチン横の広間に集めました。
福田さんが、「一日ごろうさまでした。おかげさまで、一日目は無事に過ごすことができました。簡単に、今日のまとめと明日の打ち合わせをさせてもらいます。」
みんな、子供たちの様子を報告します。
田中さんは、テル君がお兄さん格でよくやってくれるムードメーカーであること。
今野さんは、あかりちゃんがホームシック気味であること、そして、テル君に救ってもらったことなど。
ほかのスタッフもそれぞれ報告をします。
そして、平野君や谷口君からもこまごました報告がありました。
伊藤さんからは、写真を撮るときにピースはしないようにとの注意があったりもしました。
そして、平野君が、あすの予定の確認をしていきます。
明日は川遊びがメインです。
そして、散歩しながら、地域の方々のお家にお邪魔して、もらい湯をします。
谷口君は昼間、川遊びの場所の下見もしていました。
歩いて30分程度のところに、川があります。村の中を歩くことは、いろいろな人との交流にもなるので大切なプログラムなのです。

お昼はおにぎり弁当を地元のお弁当屋さんに頼んであります。
朝ご飯は、食パンとハムやレタスで、サンドイッチを作りながら食べるオープンサンドです。
夕食は、うどんです。これは、時間がかかるともらい湯の時間が苦しくなるので、川遊びの時に、うどんをこねてしまうことになっています。
夜はそのうどんをこねて、けんちんうどんです。

「最後にちょっと気になったことがあったんだが…と」福田さんが話し始めました。
「三枝君のことが少し気になっているんだ。彼は洋というだろう。福野君のグループだよね。福野君や、谷口君が、洋君とか、洋と呼ぶと、びくっとすることがあるんだよね。どうしてかな。決して怒っているわけではないのに、何か、怯えた感じになるんだよね。どうしてだろう。」
「ああ、それ俺も少し気になっていました。臆病者なのかなって…それとも俺のひげ面がよっぽど怖いのかななんて思っていたんですが。」と、担当の福野君。
「そう、気づいていた。明日も、ちょっと気を付けて観察していてくれるかな? 福野君だけでなく、みんなも気にしてください。
それから、彼の申し込みの時の資料にも目を通しておきましょう。
 では、今夜はこれぐらいで休むことにしましょう」
「夜尿症の子どもが何人かいますから、起こして、おトイレに行かせてください。」と最後に谷口君が念押ししました。
この時すでに11時を回っていました。
スタッフが眠りについたのは12時を回ったころでした 。

はじめに

その昔…20年近く前になると思います。日本型環境教育の提案という本が発刊されました。 その巻末だったと思いますが、「奥深村自然学校物語・序章」というショートストーリーが乗っていました。 私はこのお話の続きが書きたいと思いました。 当時、この本に大きくかかわっていらした...