2019年3月25日月曜日

1章3節 奥山村キャンプ始動

福田さんと陽子さんは、千代田市のキャンプの企画を立てるのと並行して、奥山村キャンプの計画を、本格化させていきました。
福田さんは、母校の大学に行き、学生時代のサークルの後輩に、キャンプの手伝いをしてくれるよう頼み込みました。
と、言うより、先輩風を吹かせて半ば強制的に活動に組み込ませたといってよいのかもしれません。
中身も決めなくてはいけません。
福田さんがその計画の案を作って、陽子さんのところに持ってきました。
それを見て、陽子さんはチョットびっくりしました。
まず、キャンプなのにテントではねないで、公民館に泊ります。
ご飯は作るけれど、おかまとお鍋で作る。これは飯盒とかが無いからの苦肉の策でもありました。
昼間は登山とかはしないで、田舎の子どもたちがするような、川遊びや、昼寝、夜の散歩、そして、畑仕事といった活動が並んでいました。
一番驚いたのは最後の日にあるべきキャンプファイヤーがありません。
この定番の活動の代わりにあったのは、地元の人たちとの食事会でした。
子供たちが食事を作って、地域の人たちを招待するというものです。
今までのキャンプのイメージではないな~と陽子さんは思いました。
「福田君、ちょっとキャンプっぽくないね?」
「アメリカではキャンプのことをセカンドカントリーっていうんだよ。第2のふるさとということだよね。よくよく考えたら、東京や神奈川とか、街の子どもたちはもう、故郷と言えるいなかがないんだよな。陽子さんのように田舎がある人は珍しくなってるんじゃないかな。だから、田舎の体験をしてもらったらいいと思うんだ。そうして、その子供たちがキャンプ地を故郷のように思ったら、そこの自然を大切に思うだろう。そうなれば自然破壊とかも少なくなるだろうし、節子さんみたいに故郷に戻る人もしぜんと増えるんじゃないかと思うんだよね。」
黙って聞いていた陽子さんは、福田さんの話が終わって、小さく拍手しました。
「すごい、福田君。すごくいいコンセプトだわ。」と、大絶賛です。
そして、『ねえ。この奥山村キャンプっていう名前なんだけどさ、奥山村ふるさとキャンプにした方がいいんじゃない。」と、提案しました。
福田さんも、膝を打って、「それがいい!」と、奥山村ふるさとキャンプという名前が決まりました。
「それからさ、」と、陽子さんが続けます。
「この貰い湯っていうのはなに?」
「地元の人たちの家に、お風呂を借りに行くんだ。公民館には風呂がないだろう?」
「なるほどね~ご飯を作ったりは大変かもしれないけど、お風呂入れてあげるぐらいなら、そんなに大変じゃないからいいかもね。お風呂上りに、子供たちとも話もできるしね。」
こうなると編集者の陽子さんは早速そのコンセプトや予定をチラシに作り上げてしまいました。
2人でで相談した結果、もう一歩チャレンジすることにしました。2泊3日ではなく3泊4日にしたのです。募集人数は、千代田市の半分の50人。
さてそのようなことが決まると、ここからは陽子さんのほうが、大車輪で準備をはじめました。
まず、節子さんに連絡をして、勉さんに頼んで、公民館の利用の許可を取り。ご近所から鍋釜を借りる手配もお願いしました。
節子さんも、陽子さんの頼みを受けて、村中を駆け回りました。
勉さんに公民館の利用のお願いをすると同時に、村長さんのところに行って、こんなことを夏休みにしたいとつたえました。
村長さんは、よくわからないながらも、若い夫婦が子供のためにということでするならと、うなずいてくれました。
また、地域を鍋釜を借りに節子さんが回ったもので、あっという間に村の中に、夏のキャンプの話が広まりました。
みんな節子さんにどんなことをするのか、子どもたちは何人来るんだ、何を食べるんだと、いろいろ聞いてきます。
節子さんも良くはわかっていないので、その晩に陽子さんに電話しました。
「姉さん。村中の人がいろいろ聞いてくるのよ。好意的な人が多いけど、中には否定的な人もいるみたい。それに、みんな何をするのか、わからなくて少し不安みたいなの。一度福田さんと一緒に来て説明してくれないかしら。」
「それはそうね、わかった、一度日程を調整して、お邪魔するわ。
福田さんと陽子さんは夏休み前の週末に1泊2日で奥山村に行くことにしました。
村の人たちも公民館に集まって話を聞くことにしました。
村長さんも来るとになりました。
奥山村に行くまでに、陽子さんは東京で印刷屋さんに、いつもの貸しを返してくれとばかりに大特急で、キャンプのチラシの作成を依頼しました
それを配布する先として、陽子さんの住んでいるマンションの管理組合に交渉をし、寛太君の通っている小学校にもお願いに行きました。
管理組合は何とか説得できましたが、小学校は市の後援がないと配れないとはねつけられました。
そこで、近くのスーパーに行って、レジのところにおいてもらうことにしました。
薬局やケーキ屋さん、ラーメン屋さんにも置いてもらうことにしました。
そんなことをしていると、チラシを見た、寛太君の同級生のお母さんが、これはいいわ。「うちの子も行かせていいかしら」と、聞いてきました。
陽子さんは「もちろん是非!」と、大喜びです。
そのお母さんは、「うちのマンションの管理組合でも配れるようにお願いしてあげる」と、応援してくれました。
そんなことをしていると、寛太君の学校のお母さんたちに、うわさが広がり、次々とチラシがはけていきました。
もちろん節子さんにも何部か送っておきました。
節子さんは地域の人たちにそのチラシを配りました。
地域の人たちも、そのチラシに興味津々。7月の週末が待ち切れず、節子さんのうちに、「野菜は何がいるかね~家のを使ってもいいよ。」と言ってくる始末です。
「しかし中には、子どもがうじゃうじゃ来るとうるさくなって厄介じゃな~」と、眉をひそめる年寄りもいました。しかし、全体としては、歓迎ムードです。
村の中に子供の声が響かなくなって久しかったからです。

はじめに

その昔…20年近く前になると思います。日本型環境教育の提案という本が発刊されました。 その巻末だったと思いますが、「奥深村自然学校物語・序章」というショートストーリーが乗っていました。 私はこのお話の続きが書きたいと思いました。 当時、この本に大きくかかわっていらした...